安車蒲輪の意味~高齢者の生きがいと絶縁親子の再会

ansha-horin

仲の悪かったおじいちゃんとの再会は?

実家にたどり着いても、最初は頑固に顔を見せなかったおじいちゃん。
しかし、時間の経過とともに、安車蒲輪のようなかわいい孫たちの訪問に顔をほころばせ、嬉しくも楽しい再会を達成することができました。

普段はおばあちゃんと二人暮らしのおじいちゃん。
20歳くらい若返ったように元気になりましたよ。
このシーンを見ても、やはり、お年寄りを独りにしてはいけないですね。

★今日の四字熟語は★

安車蒲輪(あんしゃほりん)

馬車が揺れないように車輪を蒲(がま)の穂で包むほど
高齢者をいたわり、大事にすること。

「安車」は一頭立ての座って乗れる、老人・子女用の馬車
「蒲輪」は馬車が揺れないように車輪を蒲の穂で巻いて乗り心地をよくしたもの

むかし、中国では、馬車は立って乗るものでした。

高齢者の乗る「安車」という馬車の車輪には、柔らかい蒲(がま)の穂を巻きつけ、クッションのようにして、地面を走る時のガタゴトする衝撃が伝わらないようにする気遣いがありました。

この「安車蒲輪」には高齢者やベテランの大先輩を大切に、そして優しい気持ちで温かく接しましょうという意味があります。

<用例>
安車蒲輪の心で両親に接しようと思うこともあるが、現実には気恥ずかしくて素直になれない。

絶縁親子の再会

あるドキュメンタリーがテレビで放映されました。
タイトルは「両親とお嫁さんや子どもたちの総勢13人の大家族が、おじいちゃんに逢いに行く」

なぜ、この大家族はおじいちゃんと疎遠な関係になっていました。なぜかというと、
お父さんとおじいちゃんは犬猿の仲。
お父さんは若い頃に家を飛び出したまま、そのまま家族をもったという過去があったからでした。

家族はおじいちゃんに会う前に一つの課題をつくりました。
13人の親子ともども、ちょっと太り気味の大家族。
全員目標のダイエットをクリアしたら、全員でおじいちゃんに逢いに行くという課題です。

計画の始まり頃は、長男の食事量が家では少ないのに、こっそりコンビニで買い食いしていたり、お嫁さんもちょっとつまみ食いしたり、なかなか全員で目標達成はむずかしかったのです。

しかし、数ヶ月かかって、やっと目標に近づき、おじいちゃんちへ向かうことができました!

今の高齢者は、やることがない

昔のおじいちゃんおばあちゃんは
家にいてもやることがいっぱいありました。

息子や嫁が田んぼに行っている間に子守りをしたり、みそを作ったり、着物の修繕をしたり・・
大変だけど、それが高齢者の生きがいにつながっていたのです。

本当はおじいちゃんおばあちゃんは長い間生きてきて、いろんなことを知っています。

でも、最近の若者たちは、高齢者たちとの接触の経験から自分の方がいろいろ知っていると思っていて高齢者を敬うことをしなくなりました。

高齢者の周りにいる家族からは
「おじいちゃんは何もしないでゆっくりしていてください」となります。
それが親孝行と、子も嫁も思っています。

高齢者を思いやっているようで、これが高齢者にとって精神的に実にきつい。

家族との接点が希薄になった高齢者はいつも独りぼっち。
大事な家族を独りにしていいのだろうか。

平均的な高齢者の日常生活動作から鑑みると、高齢者はやはり社会的弱者と考えざるを得ません。

しかし、それでも人間はいくつになっても、何かで人の役に立ちたいという本能を持っています。

本当に高齢者はそれで幸せなの?
高齢者に生きがいを持ってもらいたいです。

「安車蒲輪」という言葉、昔からこんないい言葉があるのに、今は上辺だけか、ほとんど知られなくなりました。

あとがき

ゲートボールやデイケアよりも、
もっと世の中の役にたっているという実感のあることをしていただく。

デイケアで輪投げをするよりも、
病院内の保育所の子どもの世話を手伝ってもらったり、畑仕事をやったり・・

家族が少ない現代には、現代なりの、やらなければならないことはたくさんあります。

ゲートボールもたまにはいいかもしれないけれど、朝から毎日ゲートボールばかり、というのはどうかと思います。
最近、核家族により、高齢者の活躍場所が少なくなってきています。
それが高齢者独りぼっちの大きな原因の一つになっているのではないでしょうか。


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