怨憎会苦の意味~坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

onzoue-ku

★この四字熟語の意味は★

怨憎会苦(おんぞうえく)

会いたくない人と会わなきゃならない辛さや苦しみのこと。

仏教では、人生とは「苦」を背負っていく道であるとされています。

この人生の中で、怨(うら)み憎しみ合う同士が会うことが「怨憎会(おんぞうえ)」であり、彼らは、互いに頼ることができないので、ともに苦しむのですが、別れることもできません。
苦しいので、「怨憎会+苦」となります。

憎み、嫌いだという相手への自分の思いは、必ず相手にも反映していて、相手からも自分のことを憎まれ、嫌われます。

敵同士が夫婦になるめぐり合わせ

たとえば、こういう人生です。
敵同士だと思うような人間が夫婦になります。

夫婦になって人生を学びます。

相手がなぜ自分にとって嫌いなことをするのかということを考え、相手の立場に立って想像力を働かせると、その人が、生まれつき愛されない環境に育ってきたとか、あるいは、ずっといじめられてきたとか、そういうことがわかります。

そうすると、ただ憎むよりも哀れみを感じることができます。
憎しみを哀れみに変えることができれば、自分も救われると思います。

<例文>
・満員電車の通勤生活は、自分にとって怨憎会苦そのものだ。

怨憎会苦は人生を生きている以上、避けることのできない苦しみだ。
ただ一つ、この苦しみから逃れるためには、自分を高めるしかない。


苦手な人は必ず現れる

別離や転職をしても、必ず苦手な人って現れるものです。

これはどうしようもないようです。
なぜか世の中はそういうふうにできています。

神さまが「もっと勉強せえっ」と、喝をいれてくださっているのかもしれません。

では、どうしたらよいのでしょう?

解決法は、綿とガラスの関係になれといわれます。

智慧を使って綿になれば、衝突して割れることはありません。
最悪な状態からは避けられます。

いやだなと思えば相手もそう思っているにちがいません。
いやな相手は、気持ちが伝わるのか、相手の方も自分を嫌っているように思えます。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」状態です。
お坊さんを憎いと思うと、着ている袈裟まで憎くなってきます。

どんな人も好きになれとは言わないけれど・・
いやだなと思えば相手もそう思っているに
これは「怨憎会苦」

目線を変えて、乗り越えるしかありません。

あとがき

劣悪な環境で暮らす人々がいる

途上国や混沌とする地域では、劣悪な環境を強いられている人が大勢いる現実があります。

しかし、自分はそんなことは考えようともせず、「意志を尊重してほしい」などと、不満ばかり吠えていました。
不満をさらけ出して、良い方向に向かうのならまだしも、不満というものは、ますます悲しい自体しか起こりません。

本当にプライドが高い人間は、そういう現実から目をそらさない人間だと思います。
勝っていても奢らず、負けていても腐らない。これこそが人間に在るべき精神の姿なんでしょうね。

怨憎会苦の経験は通らなければならない道です。

考え方を変えてみたら、それは単なる人生の登竜門、序の口です。

その登竜門を乗り越えて初めて人は大きく成長していきます。
どうということもないですよね。


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