明鏡止水の意味~目標は心にさざ波を立てないこと

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「明鏡止水」という四字熟語を見て、
鏡のような水面を連想しました。

「明鏡」とは?
明るい鏡って何を表しているのか?
「止水」とは?
水を止めてどうなるの?

★今日の四字熟語は★

明鏡止水(めいきょうしすい)

明鏡止水(めいきょうしすい)の意味は

一点の曇りもない鏡や
静止している水のように、よこしまな心がなく
明るく澄みきって落ち着いた心境を言います。

「明鏡」は一点の曇りもない鏡のことを表し
「めいけい」とも読みます。

「止水」は静かにたたえられた澄んだ水の意。

二つが合わさって、同じような意味を強調しています。

どちらも、澄み切ったイメージがあり、
わだかまりのない澄み切った心を
表す言葉になりました。

この澄み切った心境というのが、
明鏡止水の境地になるので、
大体この言葉を使う時は
その境地にまだ至っていないことを表す時が多い。

剣道でも

ほかに「明鏡止水」は、
剣道用語で使われることがあります。

磨かれて研ぎ澄まされた鏡のごとく、
また静止清澄の水のごとく
どんな小さな変化も見逃さずに

心の動きや相手の動きをとらえなくてはならない。

剣道では相手の動きをこの浄玻璃に写して
直ちに対応しなければならない。
心にさざ波が立てば相手の動きをとらえることはできない。

したがって剣道ではこの清澄の心境を
「明鏡止水」と称して尊ぶのです。

しかし、澄み切った落ちついた心を表す
四字熟語【明鏡止水】は、
言葉として、まとまっては出てきません。

明鏡止水の由来

『荘子』の徳充符(トクジュウフ)篇に出てきますが、
「明鏡止水」という四字熟語は、「止水」の話と
「明鏡」の話の二つが合わさってできた言葉です。

【止水】が先で【明鏡】が後に出てきます。

まず【止水】から始まります。

足切りの刑を受けた王駘という人の所に
人が多く集まっているのを見て、
孔子の弟子が孔子に尋ねた問答の答えです。

仲尼(チュウジ:孔子のこと)曰く、
人は流水に鑑みること莫くして止水に鑑みる。
唯だ止のみ能く衆止を止む。

現代語訳では、

人は流れる水ではなく
静止した水を鏡として自分の姿を映すものだ。
それは静止した水のみが
物のすがたをそのままに映せるからです。

何事にも動じない心を得た者のみが、
心の安らぎを求める者に対して、
その求めるものを与えることができる。

これは、不動心や平常心の大切さを
表しています。

そして、

【明鏡】は次のような話になります。

足切りの刑を受けた前科者である申徒嘉と
国の宰相の子産との問答です。

両者ともに
伯昏無人を師匠とする予定でしたが、
前科者の申徒嘉の同席を子産が嫌がります。

「鏡明らかなれば、すなわち塵垢止まらず。
止まるはすなわち明らかならず。
久しく賢人とおれば、すなわち過ちなし。」

(すなわち、しばらく賢者と一緒にいると、
その人に感化されて心に曇りが取れて、
過ちがなくなる。)

心の鏡が光っていればゴミはつかない。
ゴミが着くのは鏡が光っていないからです。
長い間師匠と共にいれば、
鏡にゴミが付かなくなりますよ。

この後

申徒嘉の姿を見て、

外見だけで同席を断るような行為はいかがなものでしょうか。

と続きます。

つまり外見だけで判断したりせず、
きちんと本質を見抜く。

これが、「明鏡」の教えです。

*****

この話をつなぐことで、
「明鏡止水」は、

静かにたたえた水のように何事にも動じず
又はとらわれずきちんと本質を見抜く
という意味に繋がります。

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『淮南子』の俶眞(シュクシン)訓のところにも
【明鏡止水】が出てきます。
こちらもやはり【止水】が先で
【明鏡】が後になっていますが、
一続きの文章の中で出てきます。

人が流水を鏡とせず、止水を鏡とするのは、それが静かだからである。
粗鉄に姿をうつすことなく、明鏡にうつすのは、それが平らだからである。
すなわち、ひたすら平らで且つ静かであるものは、万物の本性をそのまま表すのです。

水にしろ、鏡にしろ、本来は綺麗なんです。
流れで掻き回されたり、塵で曇ったりして、
鏡のように映し出せなくなっているのですね。

例文

・そこには明鏡止水というか、こだわらず、
いつも心を澄ませることに意を向けている禅僧そのままの姿があるだけであった。
半藤一利『指揮官と参謀 コンビの研究』より引用

明鏡止水の心に映ずる姿を悉く拒まず禅機と一致していた朗らかな鎌倉の昔に、
むしろその真実の姿が見られなかったか? …
大佛次郎『赤穂浪士(上)』より引用

「明鏡止水」の使い方

・今日の僕は、明鏡止水の心境だよ。

明鏡止水の心境でお客様方々の
お手紙を見させていただきました。

<使い方ヒント>
動じない澄み切った心で事に当たる
という使い方が強くなっていると思います。

あとがき

人の心も、本来綺麗なんだと思います。

周囲の外乱に惑わされ、
自分の変な拘りで物を見るために、
本来綺麗な心が汚れ、本物なのか、
真実なのか、見えなくなってしまうのでしょうか。

この「明鏡止水」という四字熟語は

毎日の生活において、心に留めておきたい
大切な心境といえます。

長くなりました。
最後までお付き合いくださり、
ありがとうございました!


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