物見遊山~僧侶の修行から寺社参拝そして観光へ

monomi-yusan

今日の四字熟語は
物見遊山(ものみ-ゆさん)

江戸時代の庶民の夢は旅でした

江戸時代の庶民にとって
生まれた土地を遠く離れて旅をするなんて
夢のまた夢、憧れの一つでした。

当時、庶民が領国の外へ出ることは厳しく制限されていたのですが、寺社参詣と湯治(とうじ)は例外として認められていました。

そこで、旅の理由としては寺社参詣をし、
そのついでに物見遊山[観光]をするのが旅のかたちだったのです。

★今日の四字熟語は★

物見遊山(ものみ-ゆさん)

物見遊山(ものみゆさん)とは

秋に紅葉などを見にいったりすることを
《遊山:ゆさん》とか《物見遊山:ものみゆさん》などと言います。

江戸時代にはこの言い方が定着していたらしく、多くの文献に『遊山船』『遊山宿』などと言う言葉が登場してきます。

文字の印象から、山などの風景を楽しみにいく遊びと言う印象がありますが、語源に遡ると実はそんな気楽なものではなかったようです。

本来、物見遊山という言葉は、禅宗の言葉で仏教語でした。
「山」は寺のことで、僧侶の世界で「他山(別の寺)へ出かけ修行をする」と言う意味で使われ、

修行を終えたあと、独自の悟りを開くために、他山(他の寺)へ修行遍歴の旅をすることを言いました。

比叡山延暦寺』や『金龍山浅草寺』といった形で寺のことを意味する、《遊山》と言うのは、山に遊びに行くではなく、寺に出かけると言うことを指していたのでした。

それが次第に、寺院での修行を終えた僧侶が山中へ籠もってさらなる修行をすると言う意味に変化し、次第に文字通り、山などに遊びに行くと言うことを意味するようになっていきました。

「物見遊山」の使い方

「物見遊山」(読み方:「ものみゆさん」)という言葉は、「物見遊山に行く」「物見遊山に出かける」などの形で用いられています。

といっても、普段は頻繁に用いる類の語ではありません。

では、具体的にどのようなことを表すのでしょうか。そこで、ここでは「物見遊山」の意味と使い方を考えていきましょう。

「物見遊山」には以下のような意味があります。

物見と遊山。気晴らしに見物や遊びに行くこと。
「物見」は「見物すること」
「遊山」は「気晴らしに遊びに出掛けること」

つまり、「気晴らしに名所や催し物などを見て楽しんだり遊びに行ったりすること」を表す語になります。

ただし、「遊山」を「ゆさん」と読む場合は、行楽に出掛けることをいいますが、「ゆうざん」と読む場合は、山野に遊ぶことという意味になります。

「遊」という漢字がついていることから分かるように、あくまで手軽な、気構えしない外出などの場面に用います。

<間違った使い方>
何かを学びに行く際や、仕事のために移動する場面で使うことは、物見遊山とは言いません。
間違った使い方になるため気を付けましょう。

物見遊山は、四字熟語としては珍しく、固い真面目な意味ではなくやわらかい意味を持っているため、使用場面は必然的に限られることとなります。

たとえば、
息抜きをするために観光に行くときや、
親睦を深めるための花見やスキーに行くときなどの場面で使うとよいでしょう。

<例文>

1.東京に物見遊山に行き、浅草寺や東京スカイツリーなどを見て回った。

2.仕事が一段落したら、物見遊山に出かけるつもり。

3.しばらく鬱々とした気分が続いていたため、子どもを実家の両親に預けて物見遊山に出かけた。

4.私は、わざわざこんなところへ物見遊山で来たわけではありません。ご返答をはっきり聞きたいのです。

あとがき

最近、我が家にやって来た子猫、初日だけ文字どおりの猫っかぶりで、静かにしていたが、見るもの全てが珍しく、部屋じゅうを物見遊山

山羊でもないのに、壁に掛けてあった🤭ビラを器用に引っ張り落とし、食べ始めた。

食べものではないので、クチャクチャにするだけですが、予想外の行動にびっくり➕笑い🤣の物見遊山が続きそうです。


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