★今日の四字熟語は★
一日千秋(いちじつせんしゅう)
一日会わないと千年も会わないように、とても長く感じられること。
待ち焦がれるさま。
待ち遠しく思う気持ち。
※「いちにちせんしゅう」とも読みます。
なぜ一日千秋の「秋」は季節ではないの?
「秋」という文字の意味は、年だそうです。でも、なぜ秋なんでしょう?
【秋】は音読みで「しゅう」ですが、訓読みには「あき」のほかに「とき」とも読みます。
この秋という字は「禾」が稲の束を、「火」が収穫を表しています。
つまり収穫の季節ということ。
農耕民にとっては、耕して種をまくことから収穫までが一年のサイクルです。
彼らは収穫の季節に1年が巡ったことを実感していたのでしょう。
そのことから、収穫の季節である「秋」が、歳月も意味するようになったわけですね。
会えないことの切なさ
【一日千秋】としての四字熟語は中国古典にはなく、
『詩経』王風(オウフウ)・采葛(サイカツ)に【一日三秋】があります。
これは春の草摘みをする乙女たちの、仕事に託(かこつ)けた恋のうたで、
会えぬことの切なさが、【三秋】を【千秋】に換えてしまったようです。
恋愛をしているときなど、「相手を待つ切なる思い」を表す言葉として使われます。
無論、恋愛に限られた表現だけでなく、理由があってその到着を待つ心境を示す言葉としても用いられます。
たとえば、結果を知らせるメッセージの到着、間違いのない合格通知など、焦がれる気持ちの具体例は数多いです。
恋人同士の約束ごとは自分中心ですが
デートの日、約束の時間から「30分遅れる」と伝えていたのに、
彼は最初に決めた時刻から待っていました。
30分遅く待合せ場所に行ってもいいのに・・
そして「30分待ったぞ」と文句を言う。
でも、二人は恋人同士、今言ったばかりの文句を忘れて次の話題に変わっています。(^-^)
一日千秋の思いが小さな不満を忘れさせます。
期待がこもる「待つ」という言葉
「待つ」という言葉には期待が込められています。
だから、人は待つのだろうか。
もうすぐ誕生日。
プレゼントは何にしようか。
どこに行こうかしら。
この期待感でワクワクしてきます。
また、待っているのは人間だけではありません。
朝出かけて行った大好きなご主人様が帰ってきた!
足音が聞こえてくると、もう居ても立ってもいられません。
一日千秋の思いが爆発しています。
どちらの読み方にする?
「一日千秋の思い」というときに
ちょっと迷うのが、
「いちじつせんしゅう」
「いちにちせんしゅう」
どちらの読み方をするか、です。
辞書を引くと、前者の読み方のほうに「千秋」が出ています。
それで「いちじつせんしゅう」が本来の読み方なのでしょうけれども、「いちにちせんしゅう」も間違いではないようです。
こういう場合、
「辞書に書いている通りに読めばいいのでは?」ということになると思いますが‥
ふつうの感覚としては
「一日」を「いちじつ」とは読まないですよね。
そういうわけで、意味が通じにくそうだったら「いちにちせんしゅう」の方が分かりやすいかもしれません。
ただ、テストなどでは辞書に書いてある通りの書き方が無難でしょうし、
年配の上司や先生たちは古風な言い回しを好む方もおられるので、「いちじつせんしゅう」という読み方も覚えておいたほうがいいと思います。
あとがき
確かに、早く知りたいことを待つときや、早く会いたいときなどは、一時であっても、一日千秋のように、ものすごく長い時間に感じられるものです。
今はスマホやパソコンで世界中の人と交信できるのですから、千秋の思いで待つことなど少なくなっているのかもしれません。
しかし、それでも触れていたい恋人同士は昔も今も同じです。
もちろん、寂しい側面ばかりではありません。
若者によっては温故知新の大事さが分かっていて、残され、受け継がれてきた伝統を大切に守り、自らを律してその道に進もうとする人もいます。
UターンやIターンで田舎暮らしを始めようとする若者たちです。
伝統芸を守り抜いてきた人々は、そんな若者の出現を一日千秋の思いで待っておられることでしょう。