今日の四字熟語は
拈華微笑(ねんげみしょう)
言葉は交わさず心を伝える
テレパシーが伝わるように相手に心が通じる。
言葉を交わしていないのに気持ちが伝わることがあります。
★今日の四字熟語は★
拈華微笑(ねんげみしょう)
拈華微笑とは
言葉を使わずにお互いが理解しあい、
心から心へと伝えることを表す四字熟語です。
釈迦が霊鷲山(りょうじゅせん)で大勢の弟子に説法しているとき、梵天(守護神の一人)が金波羅花(こんぱらげ:金色の蓮の花)を献じた。
釈迦は、これを受け取ると黙って弟子たちに、花をひねり大衆に示したところ、
だれにもその意味がわからなかった。
ただ、その弟子長老の迦葉 (かしょう) だけが微笑して応じたという。
分かりやすくいうと、お釈迦様が大衆の前で、何も言わず華を拈(ひね)ったら、ただ一人迦葉尊者だけが教えを悟り微笑した
という逸話から生まれた言葉です。
そこで釈迦は彼にだけ仏教の真理を授けたといい、そこに以心伝心のあったことが示されています。この故事を拈華微笑(ねんげみしよう)といいます。
【拈華微笑】は、「花を拈(ひね)りて微笑す」と訓読みされます。
禅門では、ことばや文字、経論によることなく、師資相対して心から心に禅の大法を伝えてきました。
以心伝心による禅宗の伝法の始めを語るときの語です。
しかし、この語の場合、「微笑」を「びしょう」とは読みません。
「微」を呉音読みして、「みしょう」と読みます。
呉音と漢音のちがい
・呉音……隋唐時代の揚子江下流地方の音がわが国に伝わって国語化された字音。
・漢音……唐時代の長安付近の音がわが国に伝わって国語化された字音。
漢字は、大昔に中国で生まれて日本に伝わってきた文字です。
例えば、「女」という字は
呉音では「にょ」と読み、
漢音では「じょ」と読みます。
こういう読み方の違いがあるんですね。
『無門関』に出ているお話にあります。
昔、釈迦が霊鷲山で説法した時、
花を拈(ひね)り大衆に示した。
是の時、衆皆な黙然たり。
ただ迦葉尊者のみ破顔微笑す。
だれにもその意味がわからなかったが、
ただ迦葉だけが真意を知って微笑した。
教外別伝(きょうげべつでん)は、文字やことばで伝えられないことを意味します。
この場で、真に無心であったのは迦葉だけで、釈尊の真心をただ一人心で理解し、
それを言葉でなく微笑で返したということなのでしょうか。
この故事から「拈華微笑」の語が生まれ、
禅門では「以心伝心」(心をもって心に伝える)で仏法の真髄を伝えるという意味で使われます。
釈迦が華を拈(ひね)って、教えたことは何だったんでしょう。
人は微笑みだけでも心は通う…
拈華微笑の意味
「拈華微笑」を検索していたら、
下記のブログをみつけました。
「拈華微笑」の意味が少しわかるかもしれないと思い、下記に記させていただきました。
「ゼミナール講師のブログ」より
拈華微笑(ねんげみしょう)
ふと
4年前に一度だけ教えたジュース君のことを思い出しました。そういえば、以前ジュース君という高校生とのいい出会いがあったなあ、
あれは僕が体験した「拈華微笑」だったのかあ、と不意に記憶に蘇った、
(中略)
「こんばんは。
突然のメッセージをお許しください。もう4年も前のことですが、進研ゼミ主催の早慶講座でA講師の授業を受け、
その直後にメッセージを送ったところ、ジュースを奢るということになっていた者です。
通称ジュース君です。(中略)
”A講師の教え子”であるジュース君こと私は、このたび無事大学を卒業することが決まり、来年度からある地方の地理歴史の高校教員として働くことになりました。
御茶ノ水ゼミナール(原文まま)にも通わず、たった1回の特別講座を受けただけで接点は薄く、おまけに国語の教師(又は塾講師)になるわけでもないのですが、
私の中でA講師の存在は大きく、今も変わらず力の励みとなっています。
それは、私が大学受験の1年間で孤高奮闘する中、常に頭の中で「対比は僕たちを助けてくれる」と主張して下さったA講師の声が励みとなったからではないかと思っています。
そのため、今もA講師を思い出しては、自分を奮い立たせていることしばしばです。
私はA講師からジュース以上の、
かけがえのないものを頂きました。その感謝を伝えたくて、この期に及んでメッセージを送らせて頂いた次第です。
これから私は塾業界ではありませんが、教師という立場で、A講師のように、努力する受験生の背中を押していきます。
本当にありがとうございました。」
いつも僕が弱気になるたびに、申し合わせたかのように、かつての生徒が僕の背中を押してくれます。
僕はジュース君のメアドさえ知らないから、また勝手に君のコメントを転載させてもらったよ。ごめんな。ありがとう。
「ゼミナール講師のブログ」より
あとがき
会話もしないでふつうに気持ちが伝えられたらいいと思うことがあります。
しかし、ふと気付きました。
何でも伝えられることができたら、言ってはいけないことまでも伝わってしまう可能性もあるということですよね。
世の中、うまくいかないから努力する、これがいちばんいいことなのでしょうね。