
今日の四字熟語は
六根清浄(ろっこん-しょうじょう)
五感とは何かご存知ですか?
五感とは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の5つの感覚を言います。
そして五感から生まれる感情や思いなどは、
やがて、欲や迷いの心へと変わっていきます。
これを煩悩といいます。
これら煩悩の心を離れ、心と身体が、清らかになること。これを六根清浄(ろっこんしょうじょう)といいます。
★今日の四字熟語は★
六根清浄(ろっこん-しょうじょう)
六根=「ろっこん」とは
六根とは目耳鼻舌身意の六つの感覚器官です。
見るところである目、
音を聞くところの耳、
においをかぐ鼻、
味を感じる舌、
手ざわりなどを感じる身、
感情や思いの起こるところの意があります。
六処(ろくしょ)、六入とも言いますが、
清浄=「しょうじょう」と読み、
煩悩や我欲から離れて清らかであることを意味します。
根=①物事を認識する働き。②よりどころ。
清=にごりがなくすがすがしいこと。
浄=きよらかでけがれがないこと。
そして、他にも次の言葉を知ると、
より、理解が深まるでしょう。
欲=「よく」と読み、六根で体験した心地良さを再び求めようとする心。
六根で体験した心地悪さを避けようとする心。
煩悩=「ぼんのう」と読み、好きとか嫌いとかの思いから生まれる欲や迷い。例えば、むさぼり、いかり、ぐちなどがあります。
認識=「にんしき」と読み、外の世界の物事が何であるかを知り判断すること。
『般若心経』においては
『般若心経』において、六根とその対象について、
是故空中無色 無受想行識
このゆえに、空(クウ)の中に色(シキ)はなく、受想行識(ジュソウギョウシキ)もない。
【六根】を【清浄】にして、お釈迦さまが最初の説法において説かれたと言われている八正道を実践するのが、修行の一つの方法です。
現実の世界において、汚れた六根では八正道を実践するのが無理ということで、昔の人は山ごもりなどをして、俗世との接触を断って修行されました。
登山の際に掛け声として【六根清浄、お山は晴天】などというのはこの名残と思われます。
俗説ですが、【六根清浄】が
【六根浄(ロッコンジョウ)】と変化して
【ドッコイショ】になったとか。
戦前までは富士山への登山の際にも掛け声として【六根清浄】が用いられていたそうです。
あとがき
「まんが日本昔ばなし」といえば、
市原悦子さんの優しい語り口を思い出す。
その市原悦子さんが19年1月12日に亡くなった。「まんが日本昔ばなし」の相棒である、常田富士男さん(享年81)のあとを追うように…
この「まんが日本昔ばなし」は、子どもを対象としていない不思議なアニメだ。
その語り口がゆっくりだったのは、
「世の中の大きな流れから少し外れた人たちの共感に焦点を合わしている」
との信念があったからだそうだ。
これが、まんが=こども、ではない、という市原悦子さんの考えです。
私たちは、毎日、見たり聞いたり触ったりする五感をもとにして生活しています。
たとえば、きれいなものを見れば美しいと感じ、好きな音楽を聞けばいい気持ちになり、おいしいものを食べれば満足します。
これとは逆に、きたないものを見れば嫌悪を感じ、雑音と認識すればうるさいと思い、まずいと感じればもう二度と食べたくないと思います。
この時に認識する働きの基本となるものが六根という言葉です。
そして、六根が清らかになるということは、好きとか嫌いとかの思いを離れた心、つまり、すべての物事に対して平等な立場で認識する心ではないかという考えがあります。
また、仏教で言うところの菩薩の心を示し、市原悦子さんの、まんが=こどもではないという考えに私は共感します。