馬耳東風の意味~馬は聞き耳を立てている?!

baji-touhuu

馬耳東風という四字熟語があります。

あなたはこの言葉の本当の意味をご存知ですか?

しかし、本当の意味を知ったとしても、
今は別の意味に変わってしまい、
そのまま定着してしまいました。

★今日の四字熟語は★

馬耳東風(ばじとうふう)

馬耳東風の意味

他人の意見や批評を気にかけず、聞き流すこと。

【説】春風(東風)が吹いていると、
人は心地よく感じるが、馬は、
何にも感じないように見えることから。

しかし、馬耳東風には、
いろんな人の考え方があります。

例えば

  1. 「馬の耳に念仏」と同じ意味でしょ?
  2. 人の意見を聞かない人のことでしょ?
  3. 元々、馬は聞き耳を立てている?
  4. 何故東風なのか気象に関係が深いの?
  5. 等々

東風はなぜ春風を指すのか

東風とは、暖かい春に吹く風で
東から吹くので、東風が春の風のことを
指すようになりました。

馬耳東風の語源

李白の詩の一節が語源です。
『王十二の寒夜に独酌して懐(おもう)有るに答う』と題する詩の中に出てきます。

この詩は王十二という友人が李白に、
「寒夜に独酌して懐有り」という詩を
贈ってきたのに対して、李白が答えたものです。

原文は、次のようになります。

吟詩作賦北窓裏、萬言不直一杯水。
世人聞此皆掉頭、有如東風射馬耳。

現代語に訳すと、

北に面した窓に寄りかかって、詩を吟じ、
賦を作り、多くの優れた言葉を連ねても、
一杯の水にも値しないのです。

というのも、世間の人々は詩や賦を聞いても
(そのすばらしさを理解できずに)頭を振り、
ちょうど馬の耳に東風が吹くのと同じように、
気にもとめられないのです。

いい詩を作っても【馬耳東風】と聞き流されてしまう、悔しさを詠んでいます。

実際、詩を作った李白さんは、
実力がありながら
認められなかったのでしょうか。

詩には世間から認められていない
寂しさを感じます。

「馬の耳に念仏」と「馬耳東風」の違い

馬の耳に念仏とは、
いくら説き聞かせても、何の効果もないたとえ。

周囲からの忠告に耳を貸さないという
意味では馬耳東風と同じです。

しかし、「馬の耳に念仏」は、
何を云っても効果がない。理解していない。

という意味が含まれています。

ところが、「馬耳東風」は、
受け流す
という感じがし、
風というのも感じています。

「馬の耳に風」が吹いているのです。
実はこの言葉が、「馬耳東風」と
「馬の耳に念仏」に深く関わっているのです。

つまり

馬は聞き耳を立てているから
情報に敏感でありなさい
という意味がかなり正解な言葉になります。

「馬の耳に風」は、日本発祥のことわざで、
のちの聖徳太子である厩戸の王子が、
春の風が心地よい日に
愛馬に乗って散策していた時、

愛馬が主人に何かあってはいけないと
油断なく周囲に気を配りつつ歩いていると
愛馬の主人は感じたのです。

そこから馬は人間以上に
より多く情報を収集しているに違いないと思い
情報の重要性を「馬の耳に風」ということに
残しました。

では、何故「馬の耳に風」は
「馬耳東風」の類義語になったの?

これは、
遣隋使や遣唐使がその当時の中国に
日本には「馬の耳に風」という諺が
あると伝えたものの

「馬の耳に念仏」という言葉と
李白が書いた詩の「馬耳東風」
混同されてしまったからになります。

では、どんな時に使えばよいのか
例文を使ってみていきましょう。

<例文>

・こちらから何を言っても、
すべて馬耳東風ですからね。
あんなひと相手では、あなたも気骨が折れることでしょう。
豊島与志雄『山吹の花』より引用

・ふみ子は顔を上げ、唇を固くむすんで沈黙をまもりつづけた。
肯定するでもなく否定するでもなく、
まるで馬耳東風とでもいうふうな無表情である。
鮎川哲也『朱の絶筆』より引用

あとがき

馬はちょっとした音にも敏感に反応します。
これは、競馬という競技を見ていると
わかります。

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馬は音に敏感である

競走馬はメンコという覆面を
かぶることがあります。
理由の一つに、馬は音に敏感だからです。

馬って、人間を乗せて走る力はバツグンでも、
とてもデリケートなんですね。

そのデリケートな馬をどう乗りこなすかが、
騎手の力量となります。

日本発祥の諺の「馬の耳に風」と、
主人を気づかう馬に気付く人間に、
新鮮な驚きを感じ、恐れ入ってしまいました。


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